ただ少しでも見る人に、勇気・共感・変化というものを与えられればいいなという思いで書いています、若輩者が好き勝手書いてますので不快に思ったらすいません)
今日はバイトの面接を受けて来て、採用の連絡をもらった。誰にでもできる仕事かもしれないけど、その中で頭さえ使えば、色々学べる事ができるはずだ
これで2つのバイトをする事になる。1つは「植木のバイト」もう一つは「コストコでのバイト」。
もう1つくらいバイトをしたいと考えていて、それは何がいいかなと考えていたら、スターバックスでバイトしてみたいと思うようになった。少し前までそんな事なんて考えられなかったんだけどね。
僕は医学部再受験時代によく喫茶店に行って勉強してました。
いつも商品を注文してからサイズを注文する前に間があって、いつも店員さんから先に「サイズはいかがしますか?」と聞かれるんですね。トールサイズのトールが言いづらいから。「うーん・・・」と考えているフリをして発語を待つ。そんな感じ。
スターバックスは一番緊張する喫茶店で、なにか妙におしゃれだし、店員さんがさわやかで可愛いし、妙に笑ってるし、MACを持ちこんでいかにもできる男だぜみたいな人いっぱいいるし。笑
スタバでバイトしようと考えた時「吃音者が接客業をするのってどうなんだろう」ってことを少し考えた。(接客業というのは奥深いものだと思いますので、ここでいう接客とはそこら辺のコンビニや喫茶店の売り子レベルって事です)
僕は「吃音者は『自分の言葉』で話す事が出来る人が多い」と思っている。文章を書いたり、デザインであったり、自分の思いを伝えるスピーチであったり、独自の視点をもった職業であったり、もしかしたら営業であったり、そうならば「決まりきった事を話す」仕事ではないから、吃音者でも勝てる部分はあると思うのですが、基本的に「決まりきった事を言う」場合が多い事務の仕事であったり、その要素が強い接客業ってのは、吃音者にとって客観的に見ても不利な部分、弱点なのである。
吃音が酷くなるかもしれないし、ありがとうございます、またおこしください、等の言葉が全然言えなくて、もっと自信を無くして、吃音悪化というデメリットもある。
この前読んだ「ビジネスマンは35歳で一度死ぬ」でも、著者の鉢嶺登さんは「自分を知り、自分の弱点を自覚し、それをさらけ出そう。その弱点になっている部分の仕事は他の人に任せて、自分の強み、長所を生かせる仕事をしようと」述べている。
正直俺にとってスタバでアルバイトするなんて、ありえない未知の世界だ。スタバに行くだけでも、若干緊張するのに、そこでお客じゃなくて、カウンターに入って店員としてお店をまわすという事を考えると、うん、無理ってなる。トールサイズのトールも言えないのに。笑
でも未知の世界だからこそ、そこに飛び込む価値はあるのではないか?という事も思うわけで。やらないという決断をくだすと、一生死ぬまでその経験をすることはないってことだから。そこで新しい何かが見つかるかもしれないし、実際やってみたらものすごい自分にあっているかもしれない。最終的には売り子のような仕事はしなくてもいが、その経験をしたという事が他の仕事に生かせるかもしれない。バンジージャンプなんか絶対したくないけど、だからこそしてみたいっていう発想。世界観が変わるかもしれない。
鉢嶺登さんは弱点が分かったって事もそれを経験したからですよね。具体的には「俺は情報発信や新しいプロジェクトの立ち上げ等には強いが、執政能力は低い」と言っていますが、それは執政を経験してきたから言える言葉ですよね。吃音者の場合は経験しなくても、合う合わないはある程度わかりますが、そういって割り切ることで、損している所があるのではないかと思う時があります。
バイトってのは簡単に日常生活に未知の世界を持ちこめるツールとして非常に便利で、別に辞めてもどうってことないですからね。
というかまだ面接の申し込みさえしていませんし、スタバは顔面接があるらしいので、そこで多分落ちるでしょう。笑
面接受かってから語れよって感じですが、ちょっアウトプットしておきたかったから書きました。