2013年11月15日

俺の親父も吃音者


俺の親父は吃音者なんすよね。
親父は小学生の時、吃音の子をいじめて、真似してたらしい。
それで自分も吃音者になった。

吃音は遺伝するのでしょうか?
よく聞きますよね、親が吃音だったとか、親戚の人に吃音がいるとか。
DNA的な事があるかもしれないし、小さい頃に吃って話されるとそれがうつるという事もあるでしょう。

吃音で苦しんでるとき、俺はその事実を知って、すごく親父を憎みました。

吃音者をいじめて、それが子の俺の世代まで続いてるのか…
ありえん、お前のせいで俺が… しかも吃音の真似していじめるとか…

まぁ親父も小学生だったので、深く考えずいじめていたのでしょう。


俺は吃音の事を家族に早々とカミングアウトしました。
というか小学生の時にもう出はじめていたので、親に言葉の教室みたいなところに連れていかれたのですね。
まぁ親は幼少期の吃音は放っておいたら治る事が多い?とかってアドバイスされて、特段なにもされませんでしたが。


昔から家族内で吃音の事でよくケンカしてたんですよね。
僕の中で定期的に鬱憤がたまってきて、それに耐えきれなくなった時家族にぶつけていました。
よくみんなで泣いた。いつも全く泣かない親父が唯一泣くのもこの時。

親父は泣きながらみんなにこう言ってました。、
「トイレ行こうにもトイレのトが言えないんや。顔も2枚目やし、見た目も何の異常もないわしが、話を始めると、顔が歪むんや。それをみた相手の人の表情が変わるんや。辛かったぞお前。トイレのトが言えないんや。お前が死にたかったら、一緒に死んだる。武庫川に一緒に飛び込もう。どうしようもなくなった時に言ってこい。一人で死ぬな。わしがお前と死んだる。」

「わしがお前と一緒に死んだる」って言葉はよく思い出します。
多分親父も本気でこう言ってるのだという事も感じます。

心の支えみたいな言葉はあまりないのですが、これはそうですね。
「吃音が苦しくて、死にたくなったら、おれも一緒に死んでやる」


オカンは親父と結婚した時に、全然吃音だと気付かなかったらしいです。
親父も本を読んで、よく音読していたそうで、徐々によくなってきたらしいですし。


まぁ僕は同じ吃音者なので、親父が言いにくそうにしてるのはわかりますが、本人は全く気にしてないようですし。もう治っていると本人は言ってます。吃音でそんなに悩むことが無くなったらもうそれは吃音を克服したと言えるでしょうね。


今は両親には今まで好き勝手生きさせてもらって、感謝しかなく、早く親孝行したい気持ちでいっぱいです。親が望むやり方ではなく自分のやり方で。でも家族のアドバイスは聞きたいと思います。


今は親父を吃音で憎むって事はもうあんまりありません。


まぁ何が伝えたいのかよくわからない日記でしたが、何かを感じ取ってもらえれば嬉しいです。

posted by ちゅく at 22:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月08日

こんな紙もって近くの大学行ってきた



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関西学院大学に、興味持ってくれる人がいないか行ってきました。
関学の女子はかなりレベル高かったです。それしか印象残っていません。笑

下校ラッシュの夕方の時間だったのですが、成果は0人です。

吃音者らしき人はいて、僕が話しているのを道の向こう側でずっと聞いていたり、遠くからじーっと見てきたりした人はいました。「どうなんだろ、俺から話しかけたほうがいいのかなぁ?でも勘違いかも?どうしよう」って躊躇してる間に歩いて行ってしまいました。


話していると言っても、その画用紙を持ちながら「発表の練習一緒にしませんかー?どうですかー?」とかって言ってるだけです。「吃音の方いますかー?」とかって言おうとしたけど、画用紙見てくれたらわかるし、逆効果になるなと思って言わなかった。


「なんて読むのですかそれ?吃音?ぎんね?しぎん?」みたいに吃音の事を知らない方にも喋りかけられて、「英国王のスピーチ」って見ました?あの主人公のね…とかって説明しました。


いやでも難しいと思う。上でも逆効果とか言ったけど、そりゃ人通りが多い所でやった方がいいけども、人通りが多い所で、吃音者の人が僕にコンタクトが取ってくれるのか?ってとこ。大学の雰囲気って独特だからね。なんかリア充最強みたいな雰囲気あるし。

僕が大学に居た時、「…吃り…」とかって言葉が教室の後ろとかで聞こえたら、ドキッっとしてたんですよね。「あぁあいつ吃音って言葉知ってるんだな。俺と喋るときとかも、すごく吃るなとか思ってるんだろうか」とかって考えていたから。

そんな当時の僕が大学を歩いてて、今日の俺みたいな勧誘があったならば、俺にコンタクトを取ってくれるだろうか?取らないような気がしてならない。そんな勇気がないのかもしれないし。そんな事しんどいよって感じかもしれない。


ってことで反省点と改善点を箇条書きにしてみた。

■まず、「吃音者プレゼン練習会」じゃ意味がわからない。「吃音者発表練習サークル」とかに名前を変えたほうがいい。また黒ペンだけでちょっと分かりにくい。

■ビラは多分あったほうがいい。これはビラを配るという意味ではなく、手にもっておくだけでもいいと思う。それがコンタクトのきっかけになるから。無言でもっていってもらって、後でそこのメールアドレスとかに連絡をもらったらいい。

■1人より2人のほうがいい。1人は若干怪しい。
僕みたいな何年も留年してますみたいな感じの人が、一人で画用紙持ってぶらぶら歩いてたら怪しい。だから誰か手伝ってくれる女子を探して、2人くらいでやったほうがいい。男子でもいいが女子の方がいいと思う。


■喋りつづけた方がいいのか。それとも無言&小さなスマイルで待つ方がいいの。喋ってる内容は割とどうでもよくて、なんか勧誘頑張ってるなみたいな感じが伝わればいいかも。いやほぼ無言でもいいかも。
いずれにせよ、大声で勧誘するのは違う気がする。

具体的にはこんな感じですね。

とりあえず来週一週間はバイトが忙しいので、平日一日行けるかどうかって感じですが、なんとか空きを見つけて行ってきます!

緊張したけど面白かった。

僕の吃音に対する考え方は、「毎日の朝夜の音読と、人前で話す練習みたいなのを週一くらいでして、それ以外の思考力を吃音以外の事に使って、自分の能力を高めていこう」って考えです。そして自分の能力を高めていくなかで、成功体験を重ねる。そしてだんだん自信に繋がっていって、それがさらに吃音の症状を和らげる。

ただ口でいうほど易しいものではない。話すという事は息をするのと同じで、吃音なんて、ひょんな事ですぐ悪化する可能性があるからだ。だから前の日記とかにも書いたけど、一生悩み続ける覚悟・あきらめという心持ちをする事も大切なことであるんだ。この先10年間の内に、自分は色々経験して成長して、何か吃音克服の答えを掴んでいて、吃音の事なんか一切悩んでいないのだろうというのは夢物語で、答えなんかないんだ。そういう事を考えるまえに、あきらめ・覚悟の心持ちでも、さらに吃音改善を放棄することなく、やった方がいいだろうといい事はやって、それ以外は吃音の事は考えない。これが今のところの僕の今たどりついたものなんですね。

呼吸の深さや、喉とか口の感じも「友達と話す」のと「発表する」のとは、やっぱり全然違うし、発表していくうちに、自信もついて行くと思うので、この発表サークルはいいと思うのですけどね。仲間も増えるし。

まぁとりあえず関学の女子のレベルは高かった。笑
ダイエットは継続して頑張ろう。
posted by ちゅく at 20:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月07日

吃音者がスタバでバイト?!

(このブログなのですが、僕は何の成功者でもなく、特に有益な情報を提供できるわけでありません。(提供できるようになりたいですが)
ただ少しでも見る人に、勇気・共感・変化というものを与えられればいいなという思いで書いています、若輩者が好き勝手書いてますので不快に思ったらすいません)


今日はバイトの面接を受けて来て、採用の連絡をもらった。誰にでもできる仕事かもしれないけど、その中で頭さえ使えば、色々学べる事ができるはずだ

これで2つのバイトをする事になる。1つは「植木のバイト」もう一つは「コストコでのバイト」。

もう1つくらいバイトをしたいと考えていて、それは何がいいかなと考えていたら、スターバックスでバイトしてみたいと思うようになった。少し前までそんな事なんて考えられなかったんだけどね。

僕は医学部再受験時代によく喫茶店に行って勉強してました。
いつも商品を注文してからサイズを注文する前に間があって、いつも店員さんから先に「サイズはいかがしますか?」と聞かれるんですね。トールサイズのトールが言いづらいから。「うーん・・・」と考えているフリをして発語を待つ。そんな感じ。

スターバックスは一番緊張する喫茶店で、なにか妙におしゃれだし、店員さんがさわやかで可愛いし、妙に笑ってるし、MACを持ちこんでいかにもできる男だぜみたいな人いっぱいいるし。笑 

スタバでバイトしようと考えた時「吃音者が接客業をするのってどうなんだろう」ってことを少し考えた。(接客業というのは奥深いものだと思いますので、ここでいう接客とはそこら辺のコンビニや喫茶店の売り子レベルって事です)

僕は「吃音者は『自分の言葉』で話す事が出来る人が多い」と思っている。文章を書いたり、デザインであったり、自分の思いを伝えるスピーチであったり、独自の視点をもった職業であったり、もしかしたら営業であったり、そうならば「決まりきった事を話す」仕事ではないから、吃音者でも勝てる部分はあると思うのですが、基本的に「決まりきった事を言う」場合が多い事務の仕事であったり、その要素が強い接客業ってのは、吃音者にとって客観的に見ても不利な部分、弱点なのである。

吃音が酷くなるかもしれないし、ありがとうございます、またおこしください、等の言葉が全然言えなくて、もっと自信を無くして、吃音悪化というデメリットもある。

この前読んだ「ビジネスマンは35歳で一度死ぬ」でも、著者の鉢嶺登さんは「自分を知り、自分の弱点を自覚し、それをさらけ出そう。その弱点になっている部分の仕事は他の人に任せて、自分の強み、長所を生かせる仕事をしようと」述べている。


正直俺にとってスタバでアルバイトするなんて、ありえない未知の世界だ。スタバに行くだけでも、若干緊張するのに、そこでお客じゃなくて、カウンターに入って店員としてお店をまわすという事を考えると、うん、無理ってなる。トールサイズのトールも言えないのに。笑

でも未知の世界だからこそ、そこに飛び込む価値はあるのではないか?という事も思うわけで。やらないという決断をくだすと、一生死ぬまでその経験をすることはないってことだから。そこで新しい何かが見つかるかもしれないし、実際やってみたらものすごい自分にあっているかもしれない。最終的には売り子のような仕事はしなくてもいが、その経験をしたという事が他の仕事に生かせるかもしれない。バンジージャンプなんか絶対したくないけど、だからこそしてみたいっていう発想。世界観が変わるかもしれない。

鉢嶺登さんは弱点が分かったって事もそれを経験したからですよね。具体的には「俺は情報発信や新しいプロジェクトの立ち上げ等には強いが、執政能力は低い」と言っていますが、それは執政を経験してきたから言える言葉ですよね。吃音者の場合は経験しなくても、合う合わないはある程度わかりますが、そういって割り切ることで、損している所があるのではないかと思う時があります。

バイトってのは簡単に日常生活に未知の世界を持ちこめるツールとして非常に便利で、別に辞めてもどうってことないですからね。

というかまだ面接の申し込みさえしていませんし、スタバは顔面接があるらしいので、そこで多分落ちるでしょう。笑  

面接受かってから語れよって感じですが、ちょっアウトプットしておきたかったから書きました。
posted by ちゅく at 02:57| Comment(7) | TrackBack(0) | 考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする